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ソフトウェア開発の世界では、どんな学歴も資格も、意欲の高さも愛社精神も、ほとんど紙くず同然です。
大事なのは、どんなソフトウェアを作ったのか。ただそれだけ。

この「作った」には、当然、プログラミングだけでなく、企画、グラフィック、プロモーション、プレゼンテーションといった要素を含みます。

全く見ず知らずの人と即席のチームを組んで、その場で全員の性格と自分の立ち位置を確認し、全員が全力で課題の達成に当たる。その上で素晴らしい作品を作り上げるできるか、できないか。

今回の発表の終わりに、フィル・シラーは例によって文化の交差点の話を繰り返しました。

我々Appleは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点にいる

そして、かつてMacintoshの宣伝に使ったあの文句を繰り返します。

“Wheels For the Mind.”

ご存じの方も多いでしょう。これはMacintoshを売りだしたときにイメージとして使った写真に添えられた言葉です。

wheels-for-the-mind

つまり、コンピューターは知的自転車であると。

そしてフィル・シラーは最後に次のような言葉でイベントを締めくくります。

Appleは技術が人々の生活に役立つことを示していきたい。

Appleやジョブズが技術革新を成し遂げたという人もいますが、必ずしもそうではないという人も多くいます。

私自身、かつて70年代にゼロックス社のPARC(Palo-Alto研究所)において、現在の基礎を支える数多くの技術研究がなされていたことを知っています。そして若き日のジョブズがそこを訪れていたことも。

しかし少なくとも言えることは、Appleはかつて誰もが夢見、そして抱いたパーソナルコンピューティングの未来というものを、人々の望む形でたしかに実現してみせたということです。完全ではないにしろ、少なくとも他社とは違うやり方で。

改めて確認するまでもなく、かつて本田宗一郎氏が喝破したように「人様の役に立たない技術などいらない」のです。

技術はそれ単体では役に立ちません。殊にパーソナルコンピューティング技術は、組み合わされ、ソフトウェアを伴うことで初めて人々の役に立つものとして現れるのです。要素技術だけでも足りませんし、ソフトウェアだけでも不足なのです。

Appleやジョブズはそれを明確に意識し、そして次々と実現してみせているということは動かしようのない事実です。そしてその遺志は、ジョブズ亡き後も間違いなく引き継がれているということを再認識するイベントであったということです。

私は川端康成の小説『散りぬるを』を思い出した。 物語の主人公は、殺害された二人の女性を思い出そうとするが、犯人の生々しい供述により記憶が曖昧になる。二人の女性と関わっていた事を日記につけていれば、もっとはっきり思い出せたのではないか。主人公は自問自答しながら結論を出す。

忘れるにまかせるということが、結局最も美しく思い出すということなんだ。
人は思い出すために記録する。日々の出来事や食べた物、訪れた場所や読んだ本。ふと思う事がある。そこに何の意味があるのだろうと。記憶は忘れ去っていくものだが、年月を経ても忘れない記憶こそ、本人にとって最も大切な記憶ではないだろうか。
知識や技量があるかではなく、アウトプットするコンテンツがあるかどうかが、まずは開始点になるというのが、このウェブのある新しい世界というわけです。

パパは、自分の世代より先まで
影響を与えてしまう可能性があることって
手を出しちゃいけないと思っているんだ。

いま生きている人が、その人生を「どう生きようか?」
というのは、その人の自由でもあるから
少なくとも、それを求める権利はあると思うんだけど

次の世代とか、その先の世代まで
影響しちゃうようなことは、やっちゃいけないと思うんだよ。

例えば、遺伝子に影響が出てしまう可能性。
お前の子どもの世代にまで影響が出てしまうとか。
場合によっては、もっともっと先の世代にまで影響してしまったり。
この国に、住めないどころか、人も近づけない場所ができてしまうとか。

そういうのは、いま生きている人、パパたちの生活と
そもそも、引き換えにならないと思うし、なってはいけないと思う。

命、対、命、のことなら、まだわかる。
先の世代の生命を脅かす可能性があるとしても
いまのみんなの多くが死んでしまうなら、已むを得ず、というのはあると思う。
いまの世代が死んだら、先の世代がなくなってしまうし。

だけど、「生活の豊かさとの引き換え」というのは
それは、身勝手だと思うんだ。

それをOKにしちゃったら、ぜんぶOKだよ。
「自分の生きている間、OKならOK」としたら、世の中終わってしまう。

それOKなら、それこそ環境問題なんて、どうでもよくなるよね。

先の世代への影響というのは、万が一、の話だけじゃない。

お前はまだ知らないかもしれないけれど
原子力発電というのは、使用済み核燃料というのが大きな問題なんだ。
薪を暖炉で燃やしたら、炭が残るよね。
炭だったら、捨てればいいんだけど
使用済み核燃料は、危なすぎて簡単に捨てられないんだ。
というか管理することすら難しい。
だから、そもそも、先の世代まで、大きなリスクやコストを
投げ渡してしまう、という発電方法でもある。原子力発電は。

さっきのコストの話でもあるんだけど
原子力発電所って、コストが安いと言う人もいるけど
そこまで安くないように思う。ほかの発電方法に比べても。
さっきの使用済み核燃料の処理のコストとか、廃炉にするにもお金がかかる。
ぜんぶ引っ括めて、そこまでコスト安、だろうか。原子力発電は。
さらには、今回のような災害、事故のときは、莫大なお金がかかる。
だから、コスト的にも、先の世代に渡している。
もちろん、コストもだけど、危険を渡すことになるのが問題。

kashino:

(via Nine Euro Countries’ Ratings Are Cut - Graphic - NYTimes.com)

ユーロ各国のソブリンリスクの可視化。そうか、単純だが効果的なジオマッピングだね。

(via imgTumble)

kashino:

(via Nine Euro Countries’ Ratings Are Cut - Graphic - NYTimes.com)

ユーロ各国のソブリンリスクの可視化。そうか、単純だが効果的なジオマッピングだね。

(via imgTumble)
fialux:

任天堂はなぜソーシャルゲームをやらないのか(下) ユーザーに自己効力感を促す制作方針の気骨と強み|コンテンツ業界キャッチアップ|ダイヤモンド・オンライン

(via imgTumble)
twinleaves:


暇人\(^o^)/速報 : 【凄杉】ニキビの原因であるアクネ菌をメラノーマに投与したら皮膚がんが治った上にアクネ菌もどっかに消えた - ライブドアブログ


(via imgTumble)

 「もし、自分が輝かしい人生を送りたいのなら、まず周囲の人を輝かせよう」

誰の言葉だったかな。ココ・シャネルだったかもしれない。違ったかもしれない。
なんとなく、音楽の先生に聞いたような気もする。

でもこの言葉は、とても的を射ていると思う。
これは最も簡単で、最も効果的な方法だと思う。
自分はなにもしなくてもいい。ただ、周囲の人を輝かせればいいのだ。
自分自身が輝くことに比べたら、どれだけ簡単だろうか。

僕にとって、人生は一遍の物語だ。
ブログで物語を綴るために、僕は生きていると言ってもいい。

節目、節目でできるだけいいエンディングになるように気をつけることにしている。
それはプロジェクトの始まりや終わりだったり、山場だったり、いろいろだ。

周囲の人びとが生き生きとしていない物語なんか面白いだろうか。

どんな名作映画でも、主人公だけが活躍したら盛り上がらない。
主人公の傍にはいつも絶対の信頼がおける仲間が居て、互いに実力を認め合いながらも、決して馴れ合わないライバルが居て、尊敬すべき絶対者としての師が居て、そして障害を乗り越えていくことで、物語は盛り上がり、輝かしいものになる。

そのとき、たとえ仇敵でさえも、輝かしい存在にしたら、その物語はどれだけ素晴らしいものになるだろうか。
たとえば、機動戦士ガンダムのシャア・アズナブルや、シャーロック・ホームズの宿敵、モリアーティ教授といった好敵手が居るからこそ、人生という物語すべてが輝かしいものに変わっていくのではないか。